近 藤 久 雄    雑文 その3

 

「物釣りの遺伝子」

近藤久雄、九州大学大学院医学研究院細胞工学・三菱化学生命科学研究所

(「蛋白質の一生」ニュースレターから)


 私は、学生時代、自慢ではないですが、殆ど授業に出ませんでした。というのも、某宗教団体と並び称されるほど悪名高い「漕艇部」という所に所属して、日夜、琵琶湖に漂っていたからです。大学にたまに行くことがあっても、生協食堂で食事をして後は図書館に籠もっていました。幸いにも、放任主義がモットーの大学でしたので、このような学生でも何の問題もなく卒業させてくれました。ただ、大学卒業間近となっても、とにかく人と同じ事はしたくないという気持ちが強いだけで、何をしたいかも何をするべきかも全く解らないという状態だったのは当然です。それらのツケでしょう、何を研究しても良いという甘い言葉に騙されて、社会医学教室に引きずり込まれてしまいました。当時の主任教授は、生意気な私に閉口したようです。結局、教室の誰とも関係のない全く新しい仕事をすることを許可していただくと同時に、私を前教授である藤原元典・名誉教授付きにしていただきました。それ以来、藤原先生のお亡くなりになるまでの5年間、私は先生から徹底的に「物釣りの遺伝子」の刷り込みをして頂いたわけです。

 藤原先生は、戦時中は海軍軍医として駆逐艦(巡洋艦?)に乗っておられたそうで、終戦後に大学に戻られると、脚気に関する研究を始められました。日本が敗れたのは、米軍にではなく、脚気だったという悔しさからだったと聞いています。先ず鳩を使った脚気モデル動物を作成し、それをバイオアッセイ系としてニンニクの抽出物の分画産物を加えていくことにより有効成分を精製していかれ、ついにビタミンB1誘導体のアリチアミンを発見し単離精製されました。さらには、その構造式を決定して合成法までも全て独力で開発されています。それが武田薬品の主力商品アリナミンとして今も市場に出ています。先生は研究に関しては全くの素人から開始されたわけですが、誰の指導も受けずに独力で、それもたったの10年ほどで以上の仕事を成し遂げられて、学士院賞を受賞されたと聞いています。アリチアミン関連の特許により得たお金を全く私することなく、藤原財団を設立して京大に動物実験棟などを寄付されたのは、本当に先生らしい所です。 

 先生は海軍仕込みの超完璧主義かつ超合理的精神の現人神であり、先生の現役教授時代には相当に恐ろしかったと聞いております。ですが、定年後であったせいか、私に対しては誠に暖かく優しく接していただきました。実際の研究については全く口を挟まれず、もしかしたら、私の当時の研究内容自体については殆どご存じなかったかもしれません。私が学位の仕事でベルツ賞をいただいた折にも、先生は「君はよく分からないことをしてるな」と言われたぐらいですから。

 それでいても、先生から折りにつけて厳しく真剣に諭すように何度も何度もお教えいただいたことがあります。それが「物釣りの精神」です。暗黒の未知の大海原に海図もなく乗り出していくときの、準備・心構え・戦略などを繰り返し叩き込まれました。先生のそれは、海軍式の合理主義や完璧主義に基づいたものであり、精神論は殆どなかったと記憶しています。どうして先生が端から私が「物釣り」をするものと決めてかかっておられたのか、今もって分かりません。ただ、分野は変わりましたが、現在も私が新規因子釣りをひたすら続けているのは、藤原先生から受け継いだ「物釣りの遺伝子」故なのでしょうか。

 不肖の弟子ですから、どれだけ先生から受け継げたか分かりませんが、今となっては、その私が「物釣りの遺伝子」を孫弟子達に伝承する作業を行っております。もしも若い方でその遺伝子の内容をお知りになりたい方が居られましたら、どうぞご遠慮なく私の研究室においでください。きっちりと「物釣りの遺伝子」を引き継がせていただきます。