近 藤 久 雄    雑文 その2

 

「自称孫弟子より」

 近藤久雄、CIMR, University of Cambridge、三菱化学生命科学研究所

(「丸山工作先生追悼文集」より抜粋)


 私が丸山工作先生のお名前を初めて拝見したのは、今から20年ほど前のことになります。当時、私は大学には殆ど行かず、もっぱら琵琶湖の漕艇部合宿所で寝泊まりし、日夜、琵琶湖・瀬田川で漂っておりました。週に一度のフライ(休憩日)に京阪・浜大津線に乗っては、終点の京都・三条に出て「娑婆」の空気を思いっきり吸うのが唯一の楽しみでした。その頃、河原町三条に駸々堂という本屋があったのですが、綺麗なトイレと良く効いた冷房で、金もない自分にとって、快適な時間つぶしの場所でした。ある日、たまには本でも買わないと悪いだろうと思い、ぶらぶら見ていたところ、ちょうど眼に飛び込んできた黄色のブックカバーの本が、その名もずばり「筋肉」(化学同人、丸山工作先生他)。頭の中まで筋肉化した身には、この本のタイトルは正にピッタリ。その残りの夏はこの「筋肉」と漫画「ゴルゴ13」とで合宿所の暇な時間を潰させていただきました。

 合宿所で寝転がってパラパラ見ていただけですから、内容のことは殆ど覚えておりません。ただ、最後の著者紹介の所で、丸山先生のニカッと笑われている御写真と「今後は孫弟子を育てたい」と書かれていたことだけが何故か頭に残りました。その後、その本のことは綺麗に忘れていたのですが、大学最終学年を迎えて進路を決めなければならない時になって、何故か再び「筋肉」の丸山先生のニカッとした笑顔が頭に現れだしたのです。当時は、ただ人と同じ事はしたくないという気持ちが強いだけで、何を研究したいかも何を研究したらよいかも全く分からないという情けない状況でした。勉強不足の頭で幾ら考えても、将来の方向性に確固たる考えが浮かばないのは当然です。しかし不思議な事に、何故か例の丸山先生のニカッが何度も何度も頭に現れてくるのです。結局は時間切れ、最後は自棄で「こうなったら丸山のニカッに賭けてやる」と骨格筋の研究をさせてくれるという研究室に入ることにした次第です。

 その後、骨格筋萎縮における酸化的ストレスの研究で学位を取ったのですが、その際に細胞内小器官が消失することを見いだしたのが縁で、英国留学と同時に細胞内小器官の研究に鞍替えしました。そうなると、またまたしばらくの間は丸山先生のニカッは記憶から消えさるのですが、英国に渡って3年ほどした時に再度復活いたします。日本語恋しさで見ていたインターネットで「さきがけ研究・丸山工作」が飛び込んできました。今更こんな事を言うと非常に不謹慎なのですが、「さきがけ研究」に応募した最も大きな理由は実物の丸山工作先生を見てみたいという気持ちからでした。東京の事業団本部に電話して「海外から応募しても良いか」と聞いてみたのですが、電話に出られた事業団職員の方から「海外からだと厳しいですよ。良くて面接止まりです。」と言われました。しかし、この眼であの丸山先生の「ニカッ」を見てみたいというのが目的ですから、そんな言葉も気にせず応募しました。幸運にも面接に呼んで頂けて、実物の丸山先生を拝見できたのですが、その際には残念ながら「ニカッ」は見られませんでした。なぜなら、私の発表中ずっと丸山先生は気持ちよさそうに船を漕いで居られましたので。その分、その後の「さきがけ研究」領域会議では、実物の「ニカッ」も何度か拝見させていただきましたので、それで十分ですが。

 領域会議でお会いする度に、丸山先生には「もっと研究グループの人数を増やせると良いね」とか「早く日本に帰ってきて、日本から世界に仕事を発信して下さい」とか色々と気にかけていただきました。実はこの夏から私のケンブリッジの研究室を日本に移す事になったのですが、それを丸山先生に直接にご報告できないのは返す返す残念です。自分としては、先生が「筋肉」の後書きに書いて居られたように、「丸山工作の孫弟子」として育ってきた積もりです。今後も先生のお名前を辱めないように自称「丸山工作の孫弟子」は頑張る積もりです。

 

さきがけ領域会議にて丸山工作先生と